2016/07/05

7月1日 のんびり宮崎備忘録

宮崎市内で車中泊をした。夜は蒸し暑く、体がベタベタだ。ああ、お風呂に入りたい。
そんなこと考えながら平和公園へと向かう。





上の2つはどちらも平和公園内にあるものだ。はにわ園はいつぞやかにツイッターで話題になって気になっていたのだけども、そんなに古くからあるものなんて知らなかった。昔からの観光地もあなどれない。

朝ごはんを食べるために、昨日通りかかって気になった異人館へ行ってみる。あいにくモーニングはやってないそうだけど、ホットケーキを注文する。


窓を眺めてると、不思議な気分になる。晴れてるのに雨、毎日がキツネの嫁入りだ。

ママと窓の滝の話をしたら「水垢がたまって困るのよ〜」と言っていた。そうだよなあ。メンテナンス代かかるよなあ。あと水道代もかかるよなあ。
でも、引き継いだコレをやめたくないしやめられないんだね。

ケンチンさんという友人に、屋上遊園があると聞いていたので見に行ってみることにした。



連日の豪雨でカバーがかけられている遊具も多かった。
ベンチに座って、特に何をするでもない老夫婦を眺める。老夫婦もノスタルジーに浸っているのだろうか。

100均一でビーチサンダルと諸々整理グッズを買った。

道に迷いながら高鍋大師へとたどり着いた。雨がぱらついてきた。
でも、高鍋大師のある広場には結構人がいる。高鍋観光協会みたいな人たちの集団もいる。


「岩岡さんは一人でこれを作り続けたのです、素晴らしい人でした…」
観光協会らしき人が皆に説明しているのが聞こえる。

認められるもの認められないもの、残るもの残らないもの違いって何だろうなぁ。そんなことを思う。
高鍋大師は、今で言ったら珍スポだ。いや、きっと昔も珍スポだったに違いない。あのお爺ちゃん、また珍しいもの作ったらしいよ、そんな風に思われていたと思う。
世にあるたいていの無名のアーチストの作品は、無名のまま消えていく。でもこんな風に認められている、残っている人もいることが不思議だった。

その後もずっと考えていたんだけど。
旅をしていて少し思いついた法則をメモしておく。

①世間に認められるには絶対数がいる
世間に認められた、ということを証明するには数が必要だ。ひとりが価値があると言っても足りない。ウェブだけでも足りない。地域紙、新聞、テレビなど様々な媒体で伝えられて知られないとサブカルチャーの域を出ない。

②後世に残るためには周囲の力がいる
残す側になった当事者達の力が必要だ。場所を維持するためなら財力や権力が必要だし、違うものとして残すなら発想力が必要だ。そして発信していく力がないと、その次、その次に残っていかない。

これ、消えゆくもの達に結構当てはまると思うのだけど、どうかな。


西都市へ移動。西岡先生の性神本に軽く記述されていた都萬神社の森の中へ入るが、男根は見つからず。無駄足を踏んだかな?

▲強いて言えばコレが男根なのかな


それにしてもお腹がすいた。変な意地があって、旅に出ると現地のもの・現地の店でしか食べたくないので、昼抜きとか普通になってしまう…。意地はらないでジョイフル行けばええんやけど。
ということで、さっき通りかかって気になったチャンポンハウスに戻ってみることにする。



チャンポン屋の軒先で売っていた陶芸品を買う。どうやらこのチャンポンハウスに委託で置いているらしい。連絡先をチャンポンハウスの人に伝えたが、あまり熱意が伝わらなかったので多分連絡してくれてないと思う。


それにしても、女として、いや人としてどうかってくらい汗臭い。

そういえば昨日のお昼からお風呂に入れていない。宮崎は鹿児島と比べて温泉や銭湯が少ない。
いい銭湯があると聞いていたのを思い出して、延岡に向かうことにする。

途中、変な店があって急ブレーキを踏んだ。


世間が変わる重大な歴史の品がある、と言ってなんか色々とヤバい話やヤバいものを見せてくれたけど本当かな。
古いミッキーの人形を買う。エセミッキーか本物かわからないけど、ムチムチしててかわいい。

とかいって古美術商のところで時間をくってたら、延岡の銭湯の営業時間に合わなくなった。さいあくだ!風呂!風呂に入りたい。
20kmほど延々戻ったところの温泉に入りにいく。
この辺りはひょっとこ祭りがあるらしい。見に行ってみたいなあ。



マクドへ行ってたっぷり充電をして、この日は原稿書き。meetsの原稿上げれた、よかった。
車中泊。


コーヒー300円分
異人館朝ごはん600円
100均一600円
ガソリン代3000円
ミッキー1000円
チャンポン700円
陶芸品合計1500円